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サファリの話をちょっと勢いつけて書いたところですが、
イスラエルの戦争やら、私の友人のご不幸、同級生の病状等が
が立て続けに本日知る事となり、気分が滅入ってます。
続編はしばらく後に書きます。
つらいときは、無我夢中で仕事するのがよいと思います。
バイクに乗ったりしても危ないだけです。
助けられるのは家族と友人だよなあ、といつも思います。
2023/10/10 火曜(オーストラリアンサファリ)
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今月は過去に出たイベントについて書きます。時系列にと思っていますが
思い出しつつで行ったり来たりになるかもしれません。
そもそも2000年にサファリに出ようと思ったきっかけは、
2000年だから!
という区切りのいい年というのもありましたが、ちょうどその年はシドニーオリンピックもあり
オーストラリアも共和制移行か?という国内議論もあり(これは国民投票で無くなった)、
なんとなくオーストラリアが盛り上がっていく感じがあったので、記念に出たかったんですね。
実は、いずれ永住するつもりだったので(まだあきらめてない)記念に出ておいたほうがいいなと。
でも日本から参加するとなると結構大変な準備とお金と。。。
と厳しい話をしてもつまらないので、明るくいきます。のちに書きますがそんなに金かかりません。
基本的に私は日本ではオンロードのサーキットライセンスはバイクブームの頃に持っていましたが
オフロードはほぼ素人。もちろん仕事でオフ車は触りますからある程度は
普通の人よりは乗れるかもしれませんが、特に練習したわけじゃないし、
レースに出たこともありません。
ただ林道を走るのは好きでした。普通にRD50SPという愛車に、普通のタイヤで、
普通のギア比で、普通のオンロードヘルメットで林道走ったりしていました。
今思えば結構な山道でガレガレ、木が倒れてたりしてても走っていましたから
無茶だったな、とは思いますが、単純に貧乏で金がなかったので
新しいタイヤを買う、なんてことは想像すらしませんでした。
タイヤついているからこれでいい、と。バイクもRDが好きだからこれでいい、と。
花は咲いた場所で散れ!
じゃなかった、、、置かれた場所で咲きなさい、っていうのは後付けです。
まだ使えるのになんで変えるの?って感覚です。(たぶん今の人にはわからないはず)
で、オーストラリアンサファリラリーも4000キロくらいの距離を走るんです。
いやあ、それはめっちゃオフロード乗るのうまくなりそうだなあ、と、ワクワクしておりました。
つまりレースなんですけど、個人的には長い時間練習できるのはいいな、と。
とまあ、とりあえずそんな感じでサファリに出ることにしました。
95年くらいでしょうかシドニーに居たときにたまたま街中で出会った池町さん(池まっちゃん)が
そのころサファリに出たとか聞いて、面白そうだなあとは思っていたわけです。
私は当時現地では日本でいうスズキのRH250を乗っていて、池町ちゃんはXR600。
手でキックペダルを押し下げてエンジンかけたり、町の階段をお。。。(やめておきます)
日本に帰ってきてサファリに出る前にたまたま何かのイベントで池町ちゃんに会って、
今度サファリ出るんやけどなんかアドバイスちょうだい、って聞いたら、
そやなー、前をよく見て走ること!
的確な答えです(笑)。実際にラリーに出て思ったのはとにかくハイスピードラリーなので
しっかり前を見て道を見て走らないと吹っ飛ぶんです。イメージとしては高速道路の
速度域でウォッシュボードやら、穴ぼこやら、深い縦溝やら、フカフカの砂やらが
突如現れるのです。
私の場合、毎回突っ込んでました。あ〜あぶなかった今、ってのはあまりなくて
80キロくらいで走ってたら突然車体が持っていかれてバーンってこけて
なんやなんや?誰やこんなとこに穴掘りやがって、
マップに書いとけや!とマップをよく見たらちゃんと「クレバス!!」みたいなマークがある。
トイレットペーパーみたいなマップを巻くのは手動なのでつい距離を間違えてマップ見逃して
どわーん、とひっくり返ってから、なんやなんや(笑)
とりあえずケガは足を骨折したのが一回だけで他は、もしかしたらアバラが一本(ひと月くらいずっと痛かったけど我慢した)
くらいで、ま、とりあえず今もちゃんと生きています。
よくパリダカとか海外のレースに出る人は、まず日本国内でそこそこの有名なレースで入賞したりして、
雑誌なんかにもチラッと載ってたり、スポンサーのステッカーやらワッペンやらをいっぱい
バイクとウェアに張り付けて、メットはスポンサーからもらって、マシンは有名どころに作ってもらって、
みたいなのが多かったんですが、私の場合は、
無名でオフロードレース経験なし。さらに小さなバイク屋経営で、金もなければスポンサーも付きそうにない。
というかスポンサーを付けるという考えは、さらっさら無かったです。自分が走るのになんで
他人がお金出してくれるのか?というところがわからなかったところです。
ただ、仕事でお付き合いのあった部品の仕入れ先の方がちょっと安くしますよ、というのはありましたね。
ガエルネのブーツなんかも2回目の参加のときとかは融通を利かせてもらいました。
3回目の時は、アジア部品の大久保さんがでっかいステッカーと10万円をサポートしてもらってうれしかったです。
現地に行く飛行機は、カード決済で貯めたマイルで特典国際航空券に交換。東京―シドニーは45000マイルで往復できました。
バイクは現地で買って現地で売ればいいやと。
持っていくのは工具とウェア。ヘルメットはレギュレーションよく読むと現地の規格のステッカーがないとダメというので
現地で買うことに。何人かの日本人参加者は持ち込んだヘルメットがスネルとJISのステッカーのみで、駄目だったんですが、
現地のコーディネーターの方が交渉してなんとか。。。
メンバーをどうしようか?これが最大の問題で、現地にてセットアップするので現地滞在は2〜3週間。
そんなに休んで一緒に来てくれる人がいないなあ。。。
でも現地にワーホリで入っていた友人がいたので、どう?って聞いたら、じゃあシドニーからスタート地点までは
一緒にいくよ!という話でまとまりました。ラリー始まれば、最悪私ひとりで全部やればいいか、と。
スペアパーツとか工具は、どこかのチームに運んでもらえるように頼もう、と。
と思っていたら、たまたま店に遊びに来ていた川野君が、おもしろそうっすねーって一言いったので
それを逃さず、じゃあ、よろしく!と。
川野君は日産の整備専門学校に通う学生で、8月は夏休みだったんです。でも9月から授業が始まる。
オーストラリア滞在は8月から9月初旬まで。
9月の最初の講義は補講でなんとかしてもらえるよう学校に話をつけてもらいました。
これでなんとチームができました。日本から2名。現地1名(+サポートカー)。
素晴らしい体制です。
ラリーに出ようとふと思ったのは3月くらい。それから4か月くらいいろいろ悩んでお金工面しまして
8月に渡豪です。
どれくらいの費用か?1回目は全然よくわからないことだらけだったので現地のコーディネーターの方と
メールしながらカードで数十万円を払いました(よく覚えていません)。
バイクは現地のバイク屋でTT−R250の5万キロ走行車を3500ドルくらいで購入。当時の円で30万くらい。
どうやって買ったか?ま、いろいろあるんですが、それは2回目、3回目に出たときのほうがおもしろいので後日。
とりあえずマシンは手に入れた。名義変更は住んでたので慣れたもの。あとはラリー用に改造しないといけない。
現地のバックパッカーズに泊まり、その駐車場を借りてバイク屋にいろいろ部品を頼みに行きます。
オーストラリアにはサファリタンクというアチェルビスの半透明版みたいなのが流行ってて
レース用というより現実にガソリンスタンドが200キロおきくらいにしかないから必需品として。
まずはそれを注文。ところが届かない。。。それがオーストラリア。
のんびりしているわけにもいかず、スタート地点まで朝から晩まで走っても数日かかるのがオーストラリア。
スタート前に現地に着くまでに5000キロ以上走ります。途中ダートも。それを慣らしというかは不明。
とりあえず新品タイヤはスタート地点に着く頃にはブロックが消えていました。
いやあ、概略だけ書いてるから、なんだそれ?って感じですが、詳しく書くのは画像とかがあると
いいなあ、と。いずれxにポストしますかね。デジカメじゃなく、現像した写真なので探すのが大変です。
日本での準備編も今後参加される方には有用でしょうし。
ま、最低限必要なのは、お金50万円くらい(カードで後で払うことを考えればほとんどいらないかも)、
休み3週間(日本人には一番難しい)、現地で使う中学生レベルの英語力と、
相手と交渉する根性、度胸(これは夜にバーで口説くとなんとかなることも多かった)。
そしてライセンス(これがねえ。。。今度書きます)。
あ、あとオージー(オーストラリア人)はとても親切で人を騙したりしないし、明るいんだけど、
時間にルーズです。部品は頼んだら予定日に入ることはまずない、でも怒ったりせずに
なーんだ、アリススプリングスに送ってっていったのにダーウィンに送っちゃったんだ、ワハハそれうける、
くらいの気持ちでないとやってられません(上記は実話です)。シドニーで受け取るビッグタンクが
出発日に間に合わなかったのでスタート地点のアリススプリングスの宿に送ってと指定したら、
OK!たぶん10日後につくよ!って。現地の代理店ここだから連絡してねー、とメモもらいました。
で、7日後に現地に入れて代理店の倉庫に連絡したらまだ来てない、と。
えー、いつくるの?と聞くと、次の列車が1週間後だから(レース始まっとるわ)。。。
で、次の日に連絡が来て、君の荷物はダーウィンにある、と(ゴールしとるやないか)。。。
ということで、まだスタートもしていないのにゴール地点のダーウィンまで私のビッグタンクは
先に運ばれていったのです。カードで買ったので、その場で、キャンセルしとくよー、とやってくれるのも
オージーのいいところです。
オーストラリアの当時の売買はものすごい長距離の配送(日本の端から端までの何倍も)をするので
ミスで大赤字になるんじゃないかと思うのですが、キャンセル料とかはかかりませんでした。不思議な国です。
ということで、作戦練り直し。ノーマルタンクで走ることに。え、全然足りない、そうなんです、なので
リアキャリアをつけて、その上にガソリンスタンドで売っていたガソリン用ポリタンクを固定して、
それで車検。
車検官が、わおー!グッドアイデア!でもちゃんと落ちないようにくくってね、と。
前後バランスもあるので前のタンクが減ってきたらリアからポリタンク外して前タンクに移す、という
ちょっとピットインみたないことしながらラリーを走りました。
でSSで500キロ、リエゾンで800キロみたいな日が一日あって、
これはさすがにきついので、三好礼子さんのスバルチームに、
ねえねえ、この日のSS何個目のところのこのタンク置いて行ってもらえません?
と。レイコさんはおっけー!みたいな。1つ10キロのウェイト何個も積んでもらえるなんて。。。感謝。
でも結果としてはそれは必要がありませんでした。その前に私の足が折れました。はい。
えーと、今日はここまで。まったくバイクの話をせずにこんなに書けたのはすごい。以上です。
当時の状況はあまり記録が無いんですが、なんとレイコさんが残したのがネット上にまだありました。
こちらです!http://www.fairytale.jp/sunanoko/text/asinto.html
なんか私も川野君も他の日本人のいろいろも載ってます(笑)
10月になりました。今年もあと2か月。あっという間です。
抱負というわけではありませんが、今月のこの小言コーナーに書くことを書きます。
当店は法人で経営しておりますので、とりあえず当社と書きます(気持ちの問題)。
当社は事実上、社員(私)に給与がずっと払えていない、つまり赤字経営が
続いています。なんとかしないと、と思いつつも、自分が我慢すればいいわけなので
甘え経営も続いているわけです。
ま、そういう会社もあっていいんじゃないかと継続しておりますが、
コロナ借り入れ(ゼロゼロ融資のはずが当社に対しては有利子扱いになりました)
の返済や、社会人になってから大学に通った学費の返済があり、
毎月借金返済に10万円ほど。会社と私の社会保険に5万円。
家賃と駐車場代に24万円。業務に必要な保険等に6万円。
仕事の経費として光熱費等が7万円、と私への給料が払われなくても
毎月最低でも50万円強が飛んでいきます。
私の給与は15万円固定なのですが、社会保険等を引きますと11万円ほど。
54歳の給料としては厳しいですよねえ。生活保護のほうが高いらしいです。
でも11万円をそのまま会社に貸し付ける形で(つまり仕事に使うだけ)
経営をしていますから赤字は増え続けるわけです。
毎月の売り上げは60〜70万円はありますが、売り上げではなく利益が50万円以上ないと
やっていけないわけですから実際はかなり厳しいのです。
たまに売上と利益がわからない人がいるので、わかりやすく書きますと、
ゼファーのキャブのオーバーホールをします。
キャブのオーリングやゴム部品は交換部品なので部品を注文します。
部品代は4気筒なので最低約6000円です。ニードルやダイヤフラムが摩耗していたりへたっていたら
部品代だけで3万円を超えます。
作業をして工賃を1万円もらったとします。
お客さんに4万円請求したとき、それが売り上げ4万円です。
当店の利益は1万円です。部品代、途中で使うケミカル類、電気代、工具の減価償却等は利益ではなく
損金といって払う方になります。
つまりのところ3時間ほどかけて作業をして会社に入ってきた(お客さんが払った)お金は4万円ですが、
利益は1万円からさらに変動費を引いた分になります。9千いくらかになるでしょう。
この利益分を積み上げて50万円を超えないと赤字なのですから一日16時間ほど働いてなんとか、です。
ちなみに部品販売だけで50万円を利益として得るには月に1000万円を売らないとダメです。(利益率が5%ほどなので)
さて、数字の話をしたところで、この経営は会社として成り立つのか?
間違いなく成り立ちません。でも個人事業主でお店をされているところは
こんな感じでやっているところが多いかと思います。当店は店と倉庫の家賃が高いので
どうしてもこんな感じですが、自分で土地や店を所有しているところはかなり気楽に
仕事ができているんだと思います。なので二代目の店は割と楽なはずです。
私は親や兄弟とも連絡をほとんど取っておらず、何をするにも自分で決定して、自分で支払い、
自分だけの信頼でいままでやってきました。仕事も店の経営もすべて独学です。
今の店を借りる時も大家さんが本当にいい方で(隣で税理士事務所をされています)、
こんな身寄りの無いというか信頼の無い人間に貸してくれただけで本当に感謝しているわけです。
すごく儲かったら、土地、店ごと買い取りたいと思って27年。全然ダメですね。
自分一人の食費だけでも厳しい生活を続けている次第です。なので趣味も特にないし(できないから)
バイクレースも出たかったけど、そんなこともできないまま歳をとり、体も動かなくなってきました。
で、今私ができることは、いままで得た技術技能を若い人に伝えることくらいだろうなあ、と。
老害と言われるようになるかもしれないけれど、ここ10年ほど大学や短大で非常勤講師をしてきて
そんな風に思うようになりました。
ま、自分の体の衰えを一番感じているのは自分自身ですから。
そんな中でも法人にする前は月に2〜3万円は自由に使えるお金がありました。(この7年はほぼゼロです)
使い道としては1年間貯めて、20万ほどになったら海外旅行とラリーという感じです。
ささやかな幸せを感じました。日頃から無駄なことをしていないと、ちょっとした無駄はとても幸せです。
ときどき誘われて飲みに行って1万円も使うと、もう1週間ほど立ち直れないくらい凹みます。
くだらない会話と酒にそんなにつぎ込んでしまって。。。
どうせなら1万円、困っている人に寄付したほうがよっぽど気持ちいいな、と。
酒もちょっと飲むだけで幸せですし(ほぼビール)、風俗には行きませんし、
ギャンブルにも全く興味がありません。パチンコに行く人間はゴミだと思っています(行っている人も思ってるでしょ?)。
レース見ながらビール飲むっていうのが一番のご褒美のような気がします。
できればレースに出る、というのがいいかな。
むかし松本憲明選手というすごく速くない(失礼)ライダーがいたんですが、
国内で500に出ていたんです。最後尾でいつも走るんですが、日本最高峰の500です。
出るだけでもすごいんですけれど出てたんです。憲明さんに直接会って握手したら
思いっきり力強く握るんです。私も若いときは握力が相当強かったものですから
思いっきり握り返して、返されておおおおって負けました。
よく選挙活動している人に握手を求めるんですが、へにょってした本当に力のない人は
基本、信頼しておりません。前回も市議選で演説していたからちょっと聞いてあげて
握手したら、ああこの人はだめだ、苦労していない手をしているなあ、って手のひらの
厚みというか感触でわかるんです。(でもトップ当選されました)
ま、その憲明選手も何年か前に亡くなられていたようで本当に残念なのですが、
ほんの少しですが意思をついで私がいます。
バイクって楽しいんですよ、本質的に。危ないし、風雨に打たれるし、夏は暑いし冬は寒い。
走ってないと転倒するし、保険は高いし、高速は軽自動車と同じ金額とられるし。。。
それでもバイクって乗ると楽しいんですよ。
そういうのを少しでいいから伝えたいと思っている老害です。今月は私が参戦した海外ラリーなどの
レース体験を書いていきたいと思います。
とりあえず、オーストラリアンサファリというFIM認定の(つまり世界認定の)ラリーにライダーとして3回出ました。
そのうち2回、クラス優勝しております(オッサンの自慢話)。
パリダカールラリーという世界でもっとも過酷と言われたラリーにメカニックとして出ました。
日本人の藤田さんというライダーの専属メカです。藤田さんはパリダカに出るのが夢で
そのために仕事をしお金を貯め、日本のラリーで練習を重ね、ラリー前に仕事もすべてやめて
貯金全額はたいて(家買えます)本気で走りました。そのお手伝いです。私も軽い気持ちで受けたのですが、本当に過酷でした。
今は安全が確保されているラリーですが、当時は毎年死者が出ました。ライダーやドライバーだけでなく
サポート部隊にも死者が出るようなレースです。
そういえばもてぎで行われたDE耐というのにも、出ましたね。
これはゼフィールという近所にあった喫茶店に集うメンバーが集まり、
ママを監督として走りました。アットホームで楽しいレースでした。
とりあえずこの3つを書いていきたいと思います。
あと若い人が頑張ってる学生フォーミュラも私10年以上かかわっていますので
そちらについても書いてみたいと思います。オッサン視線もいいんじゃないかと。
最近はいろんな情報があふれて、レースも敷居が低くなり、部品やマシンもとても安く、
始めるには絶好の時期なんですが、若い人のバイク離れに危惧しているので、
少しでも興味を持ってくれたらなあと思って書きます。
でもたぶん反応するのはオッサンばっかりなんだろうなあとは予想しております。はい。
頑張ります。