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今月は何度かお休みをいただきましてすみませんでした。
50−80問題っていうんですかね?
あれは50歳代のニートの問題か。
私も親が高齢化しましてまあ入院したりでちょっと気になってはいたわけです。
すでに50を超えていまだに独身、使えない中年で、
親に会うのも10年に一度みたいな親不孝な生活をしているわけです。
今回帰省したときも何やら親戚が来て、どうや戻ってこんのか?
みたいなのを少し感じまして。
いまさら大阪に戻ったところで、と思いつつもこの業界先が見えません。
多くの整備士は高齢化で引退され整備工場も廃業されていくのですが、
割と仕事自体は残っているので、残った整備工場に回ってきています。
なのでそれほど不安がないのかもしれませんが、実は小さいところは
たくさんつぶれています。うちなんかは先頭に立ってつぶれるような店ですが、
なぜか給与の支払いがなくても我慢している店主のおかげで
営業が続いています(従業員雇うとそちらのほうが給与が高い)。
仕事はまわりの他店がやめられていくのもあって割とありますが
ひとりで作業していますのでなかなか進みません。かといって
高くしているわけでもないので仕事は溜まるけれど儲かっている感じでもありません。
今回、大阪に帰ったところ西成にあるバイク屋さんが廃業された後を
継いでみないか、という話もあって、見に行ってきました。
郵政の仕事を受けているようで、まあ看板もあるし50年と
長くそちらで経営されていたようですから、お客さんはついているようです。
ただ建屋をみたところ、もういつ崩落してもおかしくないくらい(屋根が少し落ちてた)で
改装も必要。坪100万円くらいとのことで13坪。
若干違法改築されているので壊すと9坪くらいに削られるとのこと。
削らずに改装の形で大工さんも紹介してくれると、いい話ではあるんですが、
まあ、どうかなあ?と。
場所がね。ちょっと歩くと三角公園。昼間っから酔っ払いがうろうろしているし、
道の真ん中に机置いて飲んでてやばい雰囲気。
近くの整骨院さんの看板には、生活保護申請代行OK!みたいな、
おたくは何屋?的な。警察も消防署もバリケード付きの玄関。
ま、そういう町です。まあ、私も生まれは天王寺でして
ここがどういうところかは知っているし、
ここで生まれてここで死ぬのか?と思うとやっぱり前向きになれませんでした。
昔の大阪と違って、ここは異国ですしね。本当の大阪の人はいなくなり
日本各地、海外から色々な事情で落ちた人が集まる場所になっています。
ということで大阪に戻る気は、さらに無くなり、さてこれからどうやって生きようか?
と再考する機会となりました。
やはり地に足がついた場所で、現行の事業を維持しつつ(若い人がいたら技能を伝えたいと思います)
新規事業をやっていきたいな、と。
まずは時代の流れでEVでしょうね。電動のバイク。そしてアシスト自転車。
個人的には内燃機関が大好きなんですよ。トヨタの社長もそう思っていながら、やはり
流れには逆らわず皆さんの幸せを祈っているわけです。私もそう。
EVの流れは間違いなく正しいんだと思います。好きか嫌いかではなくて
やっておかないとダメかな、と。
ある意味、小さい企業でやっていくチャンスでもあるわけです。
既に技術が完成された領域の、基本的な部品(ベアリングやモーター等)を
組み合わせて、少量の部品で作れる、というのは大企業にとっては
薄利すぎて人件費が出せなくなるのです。
家庭内工業、零細企業は人件費削ってもいいというわけではないですが、
まあ我慢してやっているところが多いと思います。実質未払残業はあるでしょう。
趣味でやってるところも強いですね。
こういう新しい事業は、好きを仕事にする人が伸びるんだと思います。
最近注目されてきたAIなども要素に入れて新しい乗り物を作りたいな、と。
残りの人生、その辺で面白い乗り物ができるといいなと思っています。
基本的な部品を中国から仕入れるしかない状況がなんとかなれば
オール日本製のいいものが作れないかなあ?と。
ま、多くの技術技能が中国に流れてしまっているのですが、あちらも人件費が
上がってきていますから回帰もあると信じて新しいことを考えています。
と妄想はほどほどに、現実に戻って通勤スクーターの修理に勤しみます。
年度末。陸運局に行くと車検がすいています。つまり景気は悪いです。本当です。
楽して儲けようの時代は終わりです。苦労して儲けましょう!