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今月もあっという間に終わりました。
先月までの本当に暑い毎日が、突然涼しくなったり
雨が続いたり。いろいろやりたいこともあったのに
やっぱり月末の支払いで進まずに、とにかく時間に追われてました。
どーにかなりませんかねえ?
昨日近所の新聞屋さんの配達バイクの納車をしたんですが、まだ支払いが
もらえてなくてとりあえず一台立て替えたら家賃払えない。
なんとか夕方集金出来て、今日送金しようとしたら
またトラブルがあって。。。
ドコモ口座のせいで、ゆうちょからの一日の送金額が5万円までという
ルールがいつの間にか出来てしまっていて、当然家賃が送金できんわけです。。。
いろいろ設定しなおしているうちに3時過ぎてしまいました。
間に合わなかった。明日の朝イチの送金扱いになってしまった。
いままで送金遅れはなかったのが当社のいいところだと思っていたのに、
無い袖は振れんわけです。会社の口座の残高が常に一桁。。。
年金の方は、いろいろ春に払いすぎていたので何十万か戻りがあって、
といっても返金はされず、今月の支払いが無いだけですが
本日引き落としで出ていくお金が無くなったので助かりました。
とりあえず、初めて家賃の送金遅れました。。。
備忘録というか、反省を込めてここに書いておきます。
大家さんすみません。
コロナ禍に営業形態を変えねばならないけれど、それどころではない経営状況です。
でも地道にひとつずつ仕事するしかありません。ホームランは狙えませんので、
じっくり球を見て、ストライクが来たらヒット狙いです。
今朝は嫌なニュースから始まった。女優さんが亡くなられた。40歳。
まだ本当に若い。
自殺する方は、その時、何かを考えられないんだそうだ。
自殺するくらいなら。。。と普通に考えることが出来ない。
もうその状態になると周りに誰かがいないと止められない。
なのでその兆候を見つけることができれば、できるだけ早い段階で生きる楽しみを
見つけてあげるしかない。苦しみを取ることは難しいからそれを越える楽しみの方を。
私、こんな小さなバイク屋を経営していますが、大学の講師なんぞもたまに
させていただいていて、一回目の授業の最初に、自殺の話をします。
多感な18歳は、そんなこと全く考えたことも無いような呑気な学生もいれば、
しょっちゅう暗いことばかり考える人、他人の目を常に気にしているような人、
いつも誰かから攻撃されている人、されていないけどされていると思っている人、
自分はダメな人間だと思っている人、自分は本当は出来るのに認めてくれないと思っている人、
いろんな学生さんがいます。彼らに、とにかく死んだら何も残らないよ、といいます。
うちに時々くるモスリムのタンザニア人のお客さんは、イスラム教で毎日祈るのは
死んだときのため。死んでからが大事だから現生を生きている、と。
死んだあとに楽になるために毎日祈ります、と。
私はこれには賛同できません。
死んだ後のことなんてどうでもいい。今を生きる、その大切さを知ってほしいと思っています。
誰かに恨みをもって死ぬ人もいます。でもそんなのはすぐに忘れさられてしまいます。
死をもって攻撃なんて出来ないんです。笑われることはなくとも忘れさられます。
悲観をするというのは次の人生の糧にしてください。
一度死ぬ気になったのなら、死んだつもりで、一からやり直せばいい。
死んだと思えば、次は楽でしょう。生きてるだけで儲けもん。
そう思って生きてほしいと思います。
そして本当につらいなら、一度私に相談してみませんか?
と、仕事では使っていない特別なメールアドレスを学生さんに伝えてから講義を始めます。
もう10年以上いくつかの大学で非常勤講師をさせてもらっていますが、
ひとりだけメールをいただきました。留学生でした。なんとか新しい道を見つけてもらいました。
その後、どうしているかは知りません。なんとかやっているでしょう。また新しい人に会っているはずです。
私も何度か死にかけたことがあります。そのたびに、生きてるだけで儲けもん。頑張ろうと思います。
辛い思いをしているんじゃないか、とふと感じたら、声を掛けてあげてください。
なんでもいいんです。他愛無いジョークでも。何も考えられない状態から脱出させてあげてください。
ご冥福を祈り、次に同じ事が起きないようにと思います。みんなが身の回りの数人を見てくれるだけで
世界中が救われることもあります。身の回りを見てみてください。
コロナは猛威を振るっているらしいですが、今年はインフルエンザの患者が圧倒的に
少ないそうです。日本人は清潔で手を洗いまくっているから、ということを
どなたかが言っておりますが、オーストラリアでも同様にとても少ないんだそうです。
なにやらコロナとインフルエンザは因果関係がありそうです。
コロナウィルスはウィルスなのでとても小さく、その辺の菌のように見えないそうです。
一般の顕微鏡で見てもほぼ確認できないそうな。
そんなコロナはマスクの網目なんぞすっと抜ける小ささではありますが、
たいていの物質は電荷をもっていたりしてどこかに引っ付こうとします。
万有引力ってやつかもしれませんが、とにかく質量の大きい方へ
近づきたくなるのは、人間もコロナも一緒だと思います。
で、いつも不思議に思っているのですが、コロナ自体はすぐに死なないらしいとはいえ
どこで生まれるんだろう?
武漢で作った(らしい)量が決まっていて、それが消えるのを待っているのか?
それともどこかでせっせと成長しているのか?
そんなことはなかなかメディアも教えてくれず、医学を学んだ方が
経験則で教えてくれているだけ。
手を洗いましょう!
もし手にコロナがいて、洗ったあと下水に流れ。。。どこかにひっつき。。。
東京湾なんかはコロナだらけなんじゃなかろうか?
1週間くらいは生きてるというんですが、起源はどのタイミング?
手についてから1週間?机に乗っかってから1週間?
アルコールで吹けば数秒?
うーん、よくわからん。
もしなんとか菌と同じように培養するような素地があって、環境が整うと増える、
ということであれば、マスクをしてしまうと一度口の中に入ってしまうと
自分の口の中でどんどん増えてしまうようなそんな気がします。
初期の頃はタバコ吸ってる人は、とか、基礎疾患がある人(基礎疾患って何?)とか、
要注意なんて言われていましたが、その辺の情報は個人情報なのか全く出て来ませんね。
さてインフルエンザです。なぜコロナとかぶると罹患しないのか?
手洗い、マスクのおかげ?
それとももしかするとみんながいつの間にか免疫を持った?
実は毎年来る香港A型とかああいうのは実は武漢で作ってたので
今年はコロナ作っちゃったからインフル作ってない?(失礼、別に中国のせいにしたいわけではありません。)
でも何となくですが、人の移動が全世界的に止まっているとインフルエンザは少ないような気がします。
つまりのところインバウンドでコロナもインフルも届いていた?
なんて考え方も出来ます。オーストラリアのシドニーなんか歩くともう3割くらい中国人です。
いつの間にか中国との行き来が多くなっていたわけですから、いまの渡航禁止状態だと
コロナなどのウィルスが入ってこないんじゃないかな、と。
日本は今インバウンドの方がいないので国内旅行はとても空いてていいそうです。
空いている京都とか行ってみたいですね。
でも今まで基本的に国内をのんびり旅することなんかなかったので、
GOTOキャンペーンだから行くってのものどうかな?と。
ま、一人旅は海外の方がいいですね。いつ海外旅行解禁になるのかなあ???
で、コロナはどこで生まれるんでしょうね?まさか人に見つかったら突然、寿命タイマーが働くなんて
こともないでしょうし。
セミの一生と同じで、外に出るまでどこかに長ーく潜んでいるのかな?
あまりに小さすぎるので、本当に調べようがありませんね。困ったものです。
なので小さいままなら問題にならないというのであれば、増殖させない努力をすればいいかな、と。
しかし、インフルエンザは一体どこへ???不思議不思議。
菅さんが総理になって、いろいろやってくれるみたいなんですが、
そのひとつに地銀の合併というのがあるそうです。
どうも地方銀行は利益が出ていないらしく...
なら、貸してくれ!
とつぶやいてしまいます。残念ながら当社は5期目ですが、ずっと赤字。
次から次へとやってくる支払いが間に合わず、自分のお金で払い続けています。
これって個人事業主だったときは当たり前なんですが、会社組織にすると
社長借入金、みたいな枠に入って、いつか会社が私に返してくれるお金、
になるらしいんです。
で、それがすでに1500万円くらいに積みあがってしまったので、
銀行さんが当社にお金を貸して、私がすぐに倒産させれば、
会社としての赤字は帳消しになる法人格ルールなので、
銀行さんが焦げ付きます。
なので当然貸してくれません。
で、私(社長)が会社に貸し付けるんじゃなくて、増資をすればよかったのかな?
と最近思うようになりました。資本金を積み上げていくわけです。
ま、どちらにしても急な支払いが来るとそれを崩さないと払えないわけで、
自転車操業とはこのことだなあ、と。
ま、この24年間。同じですね。成長なし!
で、最近なんですが、
めちゃくちゃ調子がいいんです。カラダの。
理由はわかりませんが、本当に暑いサウナのような日々を毎日過ごしたおかげかも。
クーラーもなく毎日毎日35度を超える環境で一日15時間くらい働いていたわけで、
体重もたぶん減ってるはず。毎日水は4Lくらい飲んでいたので水太りはあるかも。
寝る前のビールも。。。
でもなんとなくですが、この2週間は体が軽くなった気がします。
それと、8月頭に肉離れをした足も順調に治り、無理をしなければ痛くなくなったのもあります。
仕事はいつも通り毎日2台くらいずつ修理があるのですが、当社は平均で行くと
一日に3万円利益を出さないと赤字なので、実際のところ時々入る大きな仕事がない限り
毎日赤字仕事です。
今日も2台修理して7000円ずつもらいましたが、ともに部品代が3000円ほどかかっているので
実質の利益は8000円。全然足りません。夕方にパンク修理が2000円入ったのでそれはほぼ丸々利益。
色々悩んだ結果、合わない仕事は断ろう!
と決めていたのですが、うちより先に倒産したバイク屋さんが多くて、そちらの仕事が
回ってくることになって、細かい儲からない仕事がたくさん。
でも困っている人から話を聞くと、うちもきついけどお互い様かと。。。またズルズル。
で、このギリギリを打破するにはやっぱり融資。100万円でいいので貸してほしいな、と。
貸し付ける条件というのがあるそうですが、なんでもかんでも数字しか見ない地銀は
つぶれてしまえ!(失礼!度が過ぎました)
もう少し、仕事を見てもらえんかな?と。
私、地域に貢献していると思いますよ。通勤中に止まったバイクを引き上げ、
子供たちの登下校には声を掛け、ネットでだまされて買ったお客さんのフォローをし、
やる意味のない改造に説教と新しい発見をし、家庭内で肩身の狭いライダーおとーさんと
親身になってバイク生活の楽しさを語りあい。。。
平和な社会の一部を作っていると思うんです。この小さな空間で。
ということで、体力があるうちはまだ頑張りますが、実際のところもう本当にお金がないので
売れるもんは売る。もらえるものはもらっとく!
という感じの今日この頃です。
調子いいのは睡眠時間が伸びてきたからかもしれません。
8月は毎日3時間も寝れば十分だったのですが、最近は5時間くらい寝ています。
いい季節です。はい。バイクに乗りたいです。時間があれば...来年こそ乗る。今年はもう少し頑張ります。
Call it a day!!
このブログを読まれた地銀さま。運転資金を貸してくださいませ!!!
経営25年間無借金です。土地、財産、その他ありません。
3年分の決算書を国庫の方に見せたところ、即答で無理!
商工会の会頭の推薦があっても無理!と言われた当社です。
あるのは、このカラダ。元気なうちによろしくです。
カリフォルニア州で2035年には化石燃料、つまりガソリンとディーゼルで
走る車の販売を禁止する法律が出来ました。
いちおう新車の話なんですが、あと15年先の話なので
そう遠い話ではありません。
今年は日本でもホンダが電気自動車を発売します。
日産リーフの時も期待しましたが、残念ながらデザインがダメ。
ホンダeは、なかなかかわいいので売れるんじゃないかな。
EVを買おうとする人は、航続距離がどうのとか、充電場所が少なくて不安だとか、
充電時間がガソリン給油に比べて圧倒的に長くて困る、
ということを懸念されているみたいですが、新しいモノが生活に入ってくれば
順応するものだと思います。
スマホなんて毎日充電しないと使えないなんて不便だ!
とガラケーを手放さなかったオジサンも、頑固な人以外はもうみんなスマホです。
私なんか、
電話は電話機能があれば十分だ!
と、ガラケーすら嫌っていましたから、電話会社がつぶれて(PHSです)、
しょうがなくガラケーをすっ飛ばしてスマホに移ったオジサンです。
そういう流れは他の技術でもあって、私はたしか2013年まで、車にカセットテープが
乗っかっていました。一応CDが聞けるカーステに替えたあとはCDばかりに
なりましたが、その途中にあったMDは触ったことすらありません。
いまやCDも古くて、スマホからブルートゥースで飛ばす時代みたいですね。
で、EVです。突然現れたように思いますが、もともとクルマはガソリン車より先に
EVが開発されていきました。しかし電池の性能がいまいちで、その当時はやはり
その航続距離が問題になりました。大量の鉛電池を積んだものすごく重いクルマは
やはり不便だったようです。
当時の電気自動車は横浜の日産本社の一階に飾ってあります。たま号です。
たま号は別として、一般に量産として販売されたのは日産リーフが最初です。
私は、そのプロトタイプに運よく乗ったことがあり、あまりの加速のすごさに
時代が変わると感じました。その2年後くらいでしょうか一般に市販されたリーフに
乗った時は、あまりのスポイルにちょっとがっかりしましたが、
安全を考えるとああいう風になるんだなあと。
あと日本の国策として2000年くらいに発表されたロードマップには、
燃料電池車を普及させる、というものもありました。
2020年の今年はたしか160万台!が走っているはずでした。
燃料電池車というのは水素を燃料としますが、れっきとしたEVです。
こちらもホンダさんの初期のFCVに乗せてもらったことがあります。
大学の研究室で燃料電池を研究していたからです。
加速は確かによかったけれど、一般のスポーツカー並みかな、という感想でした。
人間の慣れというのは怖いものです。
オートバイに乗っている人にとっては、どんなに速い車が出ても
バイクには勝てんだろう、という考えを持つ人が多いです。
実際のところ、80年〜90年頃のバイクブームの時代のバイクに乗れば
それは本当です。
ところが90年代にちょっとずつ高性能になりつつも、過激さはどんどんなくなり、
今どきの250ccバイクは、昔の125cc程度の加速しかしません。
環境にはとても優しく、燃費もいいから財布にも優しいのですが、
人間の五感をドカーンと刺激する何かは無くなりました。
クルマもそうです。80年代にトヨタがEFIボタンを車内につけて、押したときの
あの加速力(ボタンはたしか水温センサーをごまかして燃料を増量していたはず)とか、
日産のターボ過給。突如ハンドリングが軽くなるあの加速です。
当時はパワステなんて付いていませんから、荷重がリアにかかったときのハンドルが
軽くなるあの感覚が、さらにアドレナリンを放出させていたように思います。
最近の乗用車に至ってはマニュアル車がほとんどなくなり、AT。
しかもCVTという無段変速で、早め早めにギア比を低く持って行って
ほとんどノッキングしているような回転数で車を引っ張っていきます。
カリカリカリ〜というようなエンジン音と、回転数に比例しない加速。
さらに信号で止まると突然止まるエンジン。(アイドリングストップ)
エンジン音と振動に気持ちよさを覚えてきたライダーにとっては、苦痛なんじゃないでしょうか?
私は実は苦痛です。最近の新しい車に乗る機会があってもちっとも欲しいと思いません。
いい技術はあります。マツダさんのスカイアクティブなんて本当にすごい。
でも気持ちが乗らないんですよね。
で、何十年ぶりかに(そんなに長くないか?)気持ちがたかぶったのがEVなんです。
10年くらい前の学生フォーミュラ大会で、とあるお偉いさんからちょっとEVで走らせない?
なんて話が出たので、夏休みに2週間くらいで古いフォーミュラの車体にモーターと電池を
積んでみました。製作は途中でほっぽり出して私はグラーツ工科大学に2週間ほどいたんですが、
日本に帰ってきたらその学生さんがしっかり仕上げてくれていました。(タイガさんありがとう!)
で、9月の大会のエキシビジョン?として走らせまして、その一番最初に私が運転することになりました。
数周走ったらいろいろボルトとか取れて止まってしまったんですが、やはり立ち上がり加速のすごさは
ガソリン車では出せないものすごいものがあります。たかだか2.2kWのモータは、実際は
バイクでいう50馬力くらいの加速力を持ちます。
ま、とにかく、乗ってみればわかります。EVは乗らないとわからないんです。
そして乗ったあとに航続距離がどうのとか、充電時間がどうのとか、それはあとでなんとか
しよう、と思うようになるんです。そういうもんだと諦めても、そのフィーリングの気持ちよさは
なかなかガソリン車では出せないものがあるわけです。
それと、いろんな調整や修正がソフト側で出来る。この利点は今までにないものです。
減速時は回生といって発電することができるので、バッテリに充電ができるのですが、
これもプログラムで効率を変えてみたりできるわけです。
加速度(アクセラレーション)をもう一回微分すると加加速度(ジャーク)になるのですが、
これが実際に人間が感じる感覚に近いそうです。
電車の運転手が立っている乗客をよろめかさないようにじわ〜っと加速し、止まる、あれです。
ジャンボ機が離陸するときにぐわ〜っと加速して、背中がシートに張り付く、あれです。
一定の加速であるとなかなか気持ちよさはないのですが、その加速が変化する度合いが
人間に刺激を与えます。EVはそれをソフトで制御することができるんです。
実に未来的ですね。なので単なる移動のため、配送のためのクルマは全部EVにしても
いいんじゃないか、と。
エンジンは好きですよ!本当に。あんな小さいピストンが上下して必死にクランクが回って
どんどん熱くなる。二次曲線カーブはさきほどのジャークもとてもいい。
バイクにはバンクという要素もあって気持ちよさはクルマの100倍です。(言い過ぎか)
でも、昨今の異常気象や地球上から存続できない種が増えていくこの時代は、
もうそろそろやりたい放題は抑えていかないと、と思うわけです。
はっきりとCO2のせいというのも科学的には立証されていませんが、
たぶんそれ。EVにしても電気作るのにCO2が出ますし、
どんなものでもモノを作ったり移動したりすると電気は使います。
でもその電気は使う段階ではとても制御しやすいものなので
未来では確実にそちらに行くわけです。
世の中にはとてもEVに抵抗がある人が多いのですが、
学者が専門知識を出して説明してもなかなか理解してもらえません。
なので私が簡単に。
ごはん炊くのにガスコンロ(あえてカマドとは言わない)でやると難しいでしょ?
そういうことです。一度電気の便利さがわかるとそちらにシフトします。
ということで、私はテスラを買うことを今、目標にしています。
なんか3年後には2万5千ドルで買えるようになるとか!貯まるかな〜?
ガスでパンを焼いたら旨いんだよな〜、ごはんもカマド炊きは旨いよな〜!
2ストの火は消さない。。。でも時代はEV。
毎日が早いですね。昨日何やったかもよく覚えていません。
まだボケてはいないと思いますが、過去の作業を思い出すのが
難しい歳になったのは本当に実感しています。
最近は自転車の修理が多いです(覚えているじゃないか...)。
せっかくなので自転車で旅した経験を。過去を振り返って少しでも
記憶の引き出しを開けてみようかと思います。
15歳の夏。1984年鈴鹿8耐。
まだバイクの免許が取れないので、
自転車で見に行くことを計画。
友達に自転車で行こう!と言っても賛同者ゼロ。
しょうがないので、一人で見に行くことに。
当時の鈴鹿8耐。今では考えられないくらいのバイクが集まりました。
親戚からカメラを借り、フィルムを4本買ってきて、カバンに詰め込み、
河内長野の自宅を出発。鈴鹿まで約200キロ。
余裕をもってレース本番の5日前!!火曜に出発。
レースウィーク(イベント)は木曜からでしたが、早いほうがよかろう、と。
初めてひとりで鈴鹿に行くので、
とりあえず地図を見ながら鈴鹿のほうへ!(本当にそんな感じ)
旧名阪国道(25号)の天理の坂はきつそうなので、国道1号線を通り京都経由を選びます。
朝6時前に出て京都には昼前に到着。京都駅前で菓子パンをかじります。
京都から亀山に向かう鈴鹿峠の下り坂は本当にスピードが出て車なんぞをぶち抜いて
本当に気分爽快で走りました。(マネしないように)
亀山市内に入り、サーキットまであと10キロほどでパンク。
道端に止めて修理しているうちに日が暮れてしまいました。
夜8時頃にサーキット到着。すでにメインゲート前にはバイクがかなり集まってます。
集まってくるバイクを見ているだけでもうウキウキワクワク!
深夜までたくさんのライダーを見て、そろそろ寝床を探します。
どこで寝ようかとウロウロすると、無料キャンプ場の看板が目に入ります。
メインゲートから道を挟んだ県立青少年なんとか公園だったかと思います。
でも公園の中には誰もいませんでした。しかも夜は真っ暗!
キャンプという感じでもなく、どちらかというとホームレス状態。
カバンを枕に蚊と闘いながら寝袋で寝ます。
水曜の朝、ゲートに向かうとバイクが今の8耐で集まるくらいは既にいました
前売りのレースウィークチケットは当時3200円。
自分のバイト代が時給450円くらいだったので、今と大体同じ価値観かも。
でも場内のコーラはビッグサイズで400円ほどしたのは覚えています。
あの大声でマイクで麦茶〜麦茶〜って叫んでたおじさんはどうしてますかね〜?
サーキットは一周するには、今みたいに外周がつながっておらず
1コーナーに行ったら、またピット前まで戻ってきてトンネルくぐって逆バンクへ!
みたいになかなか動きにくく、またトイレも大行列、しかも下水垂れ流しの川まで
出来ていて、本当に今思えばひどい環境でした。
イベント会場を成功させるのはトイレの清潔さだと思いますよ!
一日歩いているうちに、なんとなく出会った二人組と友達に。
彼らも京都から自転車で来ていました。歳はひとつふたつ上だったかな。
練習走行中のバイクを見て、決勝はどこで見ようかとか、バイク談義なんぞしながら
グルグルとサーキットを見て回りました。外周の道は険しいし、逆バンク付近は木に登って
上から見てみたり。当時のレースビデオがあれば見てもらいたいけれど
逆バンクのでっかい看板のてっぺんまで登って座ってみているツワモノも結構いました。
その日は、一緒に寝ようと、彼らはサーキットのキャンプ場から私のいた公園に移動してきました。
キャンプ場よりも空いていたから、というのが移動の理由。そこは県立かなんかでしたが、
キャンプ場があることが周知されておらず、水場もトイレも誰もいないのです。
その日は夜遅くにサーキットに入って、今は時効にして欲しいけど、コース内に侵入しました。
コースを3人で歩いていたら、2コーナーあたりでランニングしているガイジンとすれ違いました。
あれは誰やったんかな?背の高い白人としか記憶なし。たぶんライダー。
次の日の朝イチにはサーキット遊園地をひとりで歩くワインガードナーに会って超興奮したのは
覚えています。
今はいい時代で、84年の頃の映像もユーチューブなんかで検索すると出てきます。
当時の8耐は、テレビでもいろいろ企画があったり、芸能人チームも鈴鹿に集まり、
日本中からレーサーレプリカのバイクがたくさん集まって超大イベントでした。
客もみんな楽しんでいて、昼はレース観戦、夜はサーキット道路でウィリー大会で大騒ぎ。
本当に熱かった、熱い思い出として記憶に残ってます。
レースも面白かったけど、そこに集まるみんなが本当に熱かった!
知らない人たちとたくさん友達になった。
いまでいうコミケとかそういう感じなのかもしれませんね。
で、来年は免許取ってバイクで来るぞ!と気持ちがたかぶったのですが、
次の年...誕生日が来てすぐに原付免許取ったまではよかったけど、
色々点を集めてしまい90日免許停止でまたもや自転車で鈴鹿に向かいました。
その年もそこで知り合った山梨のボーソー族の頭の人が、俺のテントに入れてやる、と
一緒に寝ることに。夜中にパンツ一丁で水場でTシャツ洗ってたら、後ろから
ものすごく明るく照らされて、なんだ?と振り返ったらズームイン朝のインタビューでした。
パンツ一丁で映るのはさすがに恥ずかしかったけどオンエアされたのかな?
インタビューの言葉は覚えていますよ。
テレビ局「君の高校は3無い運動やってる?」「え、君、大阪から自転車で来たの?」
「インタビューさせてもらっていい?」
私、「高校が免許取らせてくれないから自転車で来ました」(嘘です、免停中でした)
若さというパワーは、お金では買えません。若い人!いまやりましょう!
とはいってもコロナ禍で動けませんからね〜。まずはやりたいことを計画ですかね?
毎日やろうと思っていてもなかなかできないものです。
ひとつはパソコンに向く時間がほとんどなくなったからですね。
スマホからブログをアップする方法はいくつかありますが、
簡単にこのページにアクセスしてアップするのはちょっと面倒です。
かといって他社の無料HPなどを利用すると、広告やらが入って
とても見にくくなりますし、あまり好きではありません。
好きではないといえば、何かにつけてキャンペーンと称して
まず、「キャンペーンに参加する」ボタンを押させる風潮。
個人の意思の確認同意がないと勝手に誘導できない法律でも
あるんでしょうけれど、とにかく鬱陶しい。
そしてボタンを押すと、他社に自身のデータを移譲してもよいと
いう約款に賛同していることになっているので(誰も約款を読んでいないが)、
あるページを見に行くと、その後関連した広告が出てきたり、要らないメールが届いたり。
情報戦の時代ではありますが、相手はロボットです。戦っても勝ち目はありません。
かといって防御ばかりすると不便でしょうがありません。
こういう時は、相手もアバターならこちらもアバターで勝負。
こちらのアバターは自身の性格や趣味、嗜好とは違う別人を用意します。
そうすると広告が目に入ってきても気にならない(のか?)はず。。。
キャッシュを取得するのが相手の目的でもあるので、キャッシュを偽装するプログラムがあっても
いいんじゃないか、と思います。ま、イタチごっこですけどね。
あと、これからの時代は、情報、データ社会ということでデジタル庁までできるわけですが、
最終的には現場、現物、現実であるわけですから、
現場がない限り、データも出来なければそれを効率よくする方法も見つからないわけです。
現物というものは廃れませんから、現場で働いている人が生き残ると思います。
ただ、生き残るには体力と運が必要です。
情報産業はサービス業なので第三次産業なんて言われているわけですからね。
今一番チヤホヤされていますけれど、本質的にはサポート分野です。
デジタルだけでいいとなると、生まれてきた子供は名前を持たず、数字で管理され、
食料は自動工場で生産され。。。つまんないでしょう、そんなの。
若い人にはいろいろチャレンジしてもらって、自分が得たものは惜しげもなく誰かに伝えて、
さらに成長する、という方法で社会を形成していってもらえれば、未来は明るいです。
チャレンジを誰かのコピーであったり、知りえた重要な話を教えず内輪だけで秘匿して儲けたり、
相手を非難攻撃して打ちのめしたり、金さえあれば何でもできると考えたり。。。
とはなって欲しくないものです。残念ながら世の中は後者が主流で、またこれからも進んでいくと思われます。
正しい競争は、相手を陥れたり、非難したりするよりも、相手と研鑽しあって正々堂々と伸ばしあうことです。
国と国の戦い、与党と野党の戦い、お金持ちと庶民の戦い、健常者と障害者の戦い、白人と。。。
みんなそんな感じですね、今の世の中。共存なんて言う言葉はあまり好きではありませんが、
相手を敬い、思いやるだけでいろいろ解決できますよ。本当に。何より自分の心が落ち着きます。
宗教なんてそれを上から目線でやってるだけだと私は思っています(あ、宗教を敬ってないかな???)。
月に数回の更新になってしまい申し訳ありません。
実際のところ、パソコンに向かう時間は部品の検索くらいで、
ほとんどがスマホで済む時代になってしまい(時代というと大袈裟か)、
とりあえず仕事中に思いついたり、発見したり、残しておこうと思うメモは
この小言ではなくツイッターに流すようにしました。
ツイッター社もいずれ無くなる可能性はあるわけですが、
自分の分だけをダウンロード!
なんてこともしているわけではないので、いずれ消えゆく空しい小言、
になるのはしょうがないかな、と。
とりあえずこのページにあるものはうちの店のHDDには残っているので
ネット上で消えても、まああとで復活は出来ます。
2013年より前の小言を読んでいただいていた方は、最近のはつまらないと
おっしゃりますが、30歳代、40歳代に書いた若かりし日々の文章は
今見ると
あ〜なんて恥ずかしい、こんなこともあんなことも書いちゃって
穴があったら入りたい
なんて思うこともあり、ちょっと今更出すのも恥ずかしい...
そんな感じです。2013年からの今のものを小言2.0とすると
バージョン1.0の頃とはかなり違う書き方にしているのは実は
意識的です。
あえて1.0と2.0と分けて残しておけばいいかな、と思っています。
そして3.0。今、考えているのはテキストベースだけでなく、
手書きのものが残せないかなあ?と言うことです。
画面上をタッチできるOSになっている現在は、手書きというのが
これまたアナログ的で面白いんじゃないか、と。
TiktokやYoutubeのように動画で残すのも一つの手ですが、
個人的には文字の強さにこだわりたい。
ということで、稚拙な店主の文章でストーリー的に世間話や、仕事のこと、
ふだんの生活、人との関わりあい、
なんでも思いついたことを残していきたいなあと企んでおります。
コロナ禍で、あまり動けないので、やっていることは店の整理と読書。
ほとんどこれで24時間が過ぎます。仕事もありますが、実際のところ
昨年までの3割くらいしか無いのは本当です。
とりあえず在庫車両が多いので少しずつ整備して販売して
家賃に充てるという仕事が今のお店を支えています。
コロナ禍。もしかするとあと数年はひきずるんじゃないかな〜。
海外旅行もしばらく無理だな〜。マイル溜まりまくっててもっと
使っておけばよかったなあと。
たまに店を全部整理して、身軽になって、どこか放浪の旅に出たいな、と
思ったりもしますけれど、こういう状況ですので、毎夜の寝られない時間は
読書に充てています。週に10冊は読む毎日です。
3時間も寝れば十分な体になっているのは更年期障害なのかな?
汗ばかりかくんです。。。
仕事中に眠くなることもなく。なんでしょうね?
明日からできるだけ毎日書くようにします。
2020/09/09 水曜(And so it goes...)
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今朝、宮ケ瀬で免許を取ったばかりの女子高生が事故で亡くなったと
ツイッターが流れてきた。
事故の話なんか聞きたくもないけれど、ツイッターを少し覗いてしまった。
事故で亡くなられた方のアカウントには、毎日が楽しくてしょうがないといったコメントが
綴られていて、愛車のバンディット250につま先姿でまたがる微笑ましい写真まで残っていた。
今朝、5時くらいに目が覚めて窓の外を見ると本当にきれいな朝焼け。
薄い雲がピンクに染まり、青空に溶け込んでいく。
今日も暑くなりそうだな、いい天気だ。
こんな朝をもう迎えることが出来ないなんて。
ツイッターには一緒にツーリングに誘った方へのコメントなどが流れていて
初心者のペースでなかったんではないか、などが大半。
誰もそれを知ることはできないけれど、バイク屋としては
その時のバイクは調子よかったのだろうか?
買ったばかりとはいえ、25年以上前のバイクです。
ブレーキはちゃんと効いたんだろうか?
タイヤは新しいものが付いていたんだろうか?
たった一秒早く出た、たった一秒遅く出た、
それだけで人生は変わっていたかもしれません。
運命という言葉は大嫌いですが、まだまだこれから先、楽しいことも
辛いこともたくさん経験できるはずの16歳。
悔やむに悔やみきれません。
バイクは危険な乗り物です。教習所を出て免許を取ったら
そこは公道です。
運転の上手い人も、下手な人も、初心者も高齢者もいろんな人が同じ道を
走っています。
今日初めて乗ってます、なんて外から見てもわかりません。
バイク屋はバイク売ったら終わりなんでしょうか。
乗り方も、そのバイクの癖も、いろいろ教えないといけない気がします。
昔のバイク屋さんは、もっとアットホームで、バイク買ったらその店の常連さんが
一生懸命新人さんを教えます。その新人さんが数年後はまた新人を教える立場に
なります。そんなお客さんがたくさん集えるのが車のディーラーとは違う
バイク屋さんのいいところだったように思います。
いま、そういうバイク屋さんは減ってしまいました。うちも開店当初はイベントを
やってお客さんと一緒にツーリングしたり、レースに出たり、と
やっていましたが、今やただの修理専門店です。
新しくこの世界に入ってきたライダーの皆さんに、
もっと伝えていかねばならないものがあるんじゃないか、
それを一日中考えていました。
それと、バイクに対してもっと真摯に向き合うことを再確認しました。
とくに整備不良のバイクはお金がかかってもちゃんと直して渡さねば、と。
さきほど夜の配達に都内まで行きました。たまたまビリージョエルのCDが
トラックに載っていて聞いていました。
And so it goes
という曲が耳に残り、リピートでずっと聞いていました。
内容はいまいちわかりませんが、明るい曲ではなく、悲しい曲です。
メロディは今日の気分です。
明日も朝が来ます。朝が来る幸せを感じましょう。
朝が来ないなんてこんなに不幸せなことはありません。
いつもどおり普通に朝が来ることがとても平和なことなんです。
今日からまた安全に対して厳しく仕事していかねばと心に決めました。
皆さん安全運転でバイクを楽しみましょう。
謹んでご冥福を祈りたいと思います。