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会社には理念や方針というものがあります.
これは働いている社員が,何か仕事上で迷ったときに
自分のやるべきことを再認識する助けになるものと思っています.
社会に会社がどのように貢献していくか,
自分は何のプロなのか,
そのやり方でいいのか...
技術,技能というのは常に壁に当たることで成長します.
一般に「仕事」と言う言葉を定義するものは,「質量のある何かを動かす」というような
物理の教科書に出てくるような概念だけでなく,
質量があるのか無いのかよくわからない「考え」を形にするというものも
含まれると思います.
世の中,いろんな考え方があっていいと思います.むしろ必要です.
偏った考え方,少数意見,かならず必要です.
2014年の今,日本の政権は,自民党と公明党がタッグを組み,
衆議院も参議院も支配してしまいました.支配したというのは強い書き方ですが
実際は,国民が選んだわけです.
自分は選んでいない?そんなことはありません.ちゃんとした選挙制度で生まれました.
つまりこの状況を国民が期待していたはずなのです.
本当でしょうか.
この状況,与党はやろうと思えば独裁政治も可能です.
公明党はある意味,自民暴走の理性部分といってもいいかもしれませんが,
やはり権力を得ていたいという姿勢を感じずにはいられません.
多数決で物事を決めるという民主主義である日本においては,
本当に全員が幸せになるということは難しいのかもしれません.
多くを助ければ,多くの支持を得られ,その政権は歴史的には評価されるのでしょう.
しかし,そこに隠れているひとつの不幸.
たったひとつの不幸さえ何もできない現実もそこにはあります.
私は思うんです.
多数が一人を助けるのは容易なようで多くの問題を抱える.
たとえば,「〇〇弱者」が居るので,ということで新しい法が制定される.
そしてその人は助かるのですが,その周りに本来助けを必要としない人が
たかってしまう.さらにそれを法的に管理するために多くの無駄と
欲望と権力にまみれた団体が存在し始める.
その積み重ねが今の日本です.後手後手に隙間を埋めていくのです.
それによって助かる人も増えます.しかしさらに陥る人も居るのです.
私の思いは,次のようなことです.
自分の周りに困っている人がいたら,それをみたその人がちょっと手を差し伸べる.
ネット時代だからといって全世界にその状況を伝えなくてもいい.
地球の裏側の人を助けなくてもいい.
自分の周りの困っている人にそっと差し伸べる.
力が足りなかったらその周りの人に頼んで少し助ける.
それでその困っている人がその状況より良くなれば,それでいい.
きっとその困っていた人は,今度はその周りの人を助ける立場になるでしょう.
生まれも育ちも違う人間が多数同居している地球です.
力のある人間が動けないなら,力の無い人間が少し集まって助ければいい.
ふと周りを見渡してみてください.
生活に困っている人,人間関係に悩んでいる人,仕事がうまく行かない人,
病気や怪我で辛い思いをしている人,
たくさんいると思います.
困っている人に少し手を差し伸べる.
行政や法の力に頼ることなく,出来ることは多いです.
その一つをするためには,勇気が必要です.
ほんの少しの勇気です.
ただ,そのために法を犯してしまうこともあるかもしれません.
でも,法はそもそも弱者のためにあるんです.
弱者が困っているのに法が妨げになるのは,先に書いたように
一般的な,つまり,包括的な方法でしか制定できないからです.
薬事法しかり,救急処方もしかり.震災後の手当ての公平性などもそうです.
目の前に本当に困っていて,いましか手を出すことができないのに法のせいで
手を出せない,なんてことがあるのです,現実には.
私は,それでも手を差し伸べる人になりたいです.
そしてそれをしている人には周りで応援してあげる人になりたいです.
目に見えないところで,そっと手助けすることは,なによりも自分が成長します.
人として生きるということはそういうことだと思っています.
私は政治や行政を行う側には興味がありませんし,法律にも疎いです.
ですが,周りの人を見て,毎日明るく楽しくすることは可能です.
皆さんが,そういう気持ちで自分の周りを見渡してよりよい社会になるように
と思って,その気持ちを伝えるページとして作りました.
政治や経済や行政はそちらはそちらのプロがやってくれればいい.
私は庶民のプロとして,ローカルに助け合いをするのがプロと思っています.
なので,このページがいろんな地域に拡散するのは自由ですが,
ここを中心に広がるのは間違いだと思っています.
みなさんが自由な意見で,自分の周りを少し助けてもらえるきっかけのひとつ,
考え方の一つになればと思っています.
偉そうな立場になるわけではありません.ご批判も受けません.
自分の考えです.育ちや偏りもありますので,気にせず一意見として読んでもらって,
皆さんの地域で助け合いになってくれればそれが一番嬉しいことです.
そして,周りを助けるということがずっと横につながればきっと地球の裏側の人たちにも助けは伝わります.
(2014/06/20)
挨拶
日本人は,挨拶をする民族です.
こんにちは.おはようございます.いい天気ですね.
何気ない一言だけれど,挨拶で始まる出会いも多い.
ところが日本が高度成長期を終え,先進国の仲間入りをした頃から
隣に住む人と挨拶をしなくなってきた.
都市部でのマンションですら隣近所とは挨拶を交わすだけと言うところも多いらしい.
挨拶は本当に形骸化してしまっている.
最近は,ご近所ですら挨拶せずに無言で通り過ぎるようにもなってきているよう.
私が20年ほど前に,初めて海外に出たときのこと.
場所はオーストラリアはシドニー.
住んでいた住宅街では,すれ違う人は間違いなく挨拶をする.
目が合ったらちょっと首をかしげるような感じで,Hi!(はぁい!って感じ).G’day!(ぐだい!)
何気ない一言だけれど,笑顔になる.
で,偶然,バーやレストランで合ったりしたら,ああご近所の...と
会話がはずみだす.
笑顔で挨拶を交わすのは気持ちよいものだ.
当店は,地元の人が徒歩や自転車で通過することが多い裏通りに面していて,
私も店の中より道路側に出て作業していることが多いので通りがかりに目が合うと挨拶をしている.
スーパーなんかでも,目があったら,こんにちわ!です.
ある日,近くの生協COOPで,知らないおばさんと目があって
こんにちは,って言ったら,
いつも挨拶してくれるけれど息子の友人?と聞き返されてしまいました.
知り合いじゃないと挨拶が不自然と言うことなんだと思います.
昔はそうでもなかったけれど,最近は知らない人から声を
掛けられると不審者扱いにもなります.
昼から夕方にかけて,小学生が店の前を通ります.
こんにちは.とか,お帰り.と声を掛けると
元気よく挨拶が帰ってきます.
そしてその挨拶は次の一言へのきっかけになり,
顔見知りになり,地元の安心へとつながるんです.
無視することは子供たちの心の中にどれほど不安を与えることか.
子供たちと挨拶しているとそのお母さん,お父さんとも仲良くなります.
地域の子供たちは地域で育てていけば,悪いようにはなりません.
その第一歩が挨拶です.
学校の看板にも「おあしす」と書いてあって,
お:おはようございます
あ:ありがとう
し:しつれいします
す:すみません
と言うことだそうです.
ですが,知らない人には着いていかない様にとか,
不審者をみたら通報を!とか
そういうのもあります.
果たして挨拶が不審者扱いにならないのか...
それが現代の一つの問題でもありますが,
ご近所では挨拶した方がいいですね.
日本人は目が合うと照れくさくそらしてしまうことが多いですが,
外国から来られた人は,じっと数秒(もないか)目を見つめます.
挨拶せざるをえない状況です.笑顔で挨拶すると,相手も挨拶してきます.
たぶん海外から来た人は日本人がシャイであることに気がついて
自ら声を出すことがなくなっているんでしょう.
でもこちらからボールを投げるとちゃんと返ってきます.
そして,そのあとは本当にいい笑顔で毎日顔を合わせることになるんです.
困ったことがあったら相談に来るようになります.
たったひとことですが,挨拶はとても大事な人間のツールです.
世の中で起きている事件の多くは,挨拶で防げることもあるんです.
顔が広いですね,とよく言われますが,ただ挨拶しているだけです.
海外に住んだことで,挨拶が得意になりました.
気持ちもいいし,人間関係も広がるし,悪いことは何もないです.
最近はヤクザ屋さんよりおまわりさんの方が挨拶してくれない感じですけどね.
警察の方はこちらから挨拶したら若干怪しく思うのか?
よく職質されます.
人はまず疑うより信じた方が面白いです.
そんな感じで,川原に住んでいる浮浪者の方とも仲がよい店主です.
悪いことはありません.
実は,しゃべりたいのに相手が居ない,という人は多いんじゃないでしょうか.
高齢化社会に突入した日本です.まずは挨拶.
子供たちにも挨拶をしてあげると,将来は安心できると思います.
皆さんも今日から積極的に挨拶を!しばらくは不審者がられるかも知れませんけど...
(2014.07.02)
子供の教育
私はまだ独身で,未婚で,子供もいません.
子供を育てた経験が無いので,子供の教育は
私の要望に近いものを書いてみます.
教育の本質は何か.
オトナになるための勉強なのか?
動物も植物も子供から大人へと自然に成長します.
教育の本質は,生きるための勉強です.
残念ながら人間界では生きることには甘えが存在します.
甘えることが許されている不思議な世界です.
自力でなんとかするのではなく,支えられることを
期待して生きていくこともあります.
人はひとりではなかなか生きていけません.
人が生きる力というのは,相手を思いやる,ということに
なるのだろうと私は思います.
相手を思いやる力をつける.
これこそが教育の本質だろうと思います.
子供はいろんな遊びをします.思いつきます.
大人が与えたおもちゃやルール(たとえば携帯型ゲームとか)
で遊んでいるのは,子供の想像力を衰えさせます.
子供たちが身の回りにある小さなおもちゃで遊び,
自分たちでルールを作るのが大人へのステップです.
ビー玉ひとつでも遊び方は無限大です.
私は,デジタル製品で子供に遊びを与えるのは
間違っていると思っています.(特に低学年)
(かといって大人が必死に遊ぶのもどうかと思っています)
人間教育の中には,知識が必要です.
新しい発見が毎日起きています.知識として増えていく一方です.
人の脳のメモリーは素晴らしいなと思うのです.
小学校での教育現場は,文科省がつくった教科書を
指導要綱にそって先生が教えます.
ときに,覚える量が増えたり減ったり,ゆとりだ,詰め込みだ,
と変更になりますが,教科書を一通り見直すと,
意外といい本だなと,大人になって思います.
学習というのは,それしか出来ない環境において,目的を持って
やれば本当に成長します.
学校と言う環境はまさにそうなのですが,
人間教育と知識教育とのバランスが難しい.
当然前者が重要です.
残念ながら,今の日本はまだ学歴社会から脱していません.
中国はもっとひどい学歴社会のようです.
私,もっと子供の本当の夢に一歩でも近づけるそんな教育を
お願いしたいなと思ったりしています.
成績は,それぞれの基準で決めて,学校の先生は
いわばライフプランナーです.
ひとりひとりの性格や長所短所を理解して,
それぞれに必要な要素を伸ばして欲しいんです.
社会の縮図が教室にはあります.
先生になる人も,警察官になる人も,
もしかしたら犯罪者になる人も
ひとつの教室に居ます.
この環境がとても大事なんです.
塾や予備校などは目的が同じなので,なかなか
ひとりひとりの個性を伸ばす教育が出来ません.
なので,私はあまりああいうところが好きではありません.
もし子供がどうしても学力で困ってしまうなら
私が教えてあげればいいと思っています.
なので,日々勉強.死ぬまで勉強です.
でも本人の努力をまず期待します.
簡単に教えてしまうとそれまでです.
わからないときが一番のチャンスなんです.
体力も精神力も限界に近いところで,すっと伸びるんです.
必死で考えて出てきた答えは,
たとえおかしなものであっても良い答えです.
工学には答えが無いといいます.
いろんな考え方があって,結論はたくさんあります.
だから楽しいんですね!
私,妹の子供を小さいときに見て,ああ自分も欲しいなあと
思いました.
今は私ももういい歳になってしまったので,
やや結婚をあきらめつつありますが,
養子でもいいので育てたいな,という夢はあります.
極論
・増税賛成.原資がなくては高齢化社会の負担は無理です.
ただし,税の使い道は正しく.間違ってもそれをエサに食ってる企業や団体に配ってはいけない.
・NPOやNGO,宗教法人は,法で保護しなくても自らの意思と
それを支える人たちが居るわけだから行政は補助しない.
・政治家を含めて指導者になる人は,自薦じゃなくて,
皆から推薦される人だけがなること.
もちろん本人がやるかどうかは本人次第.
この人が上に立って欲しいという人は回りにたくさん居ます.
・社会に生きるということは,他の皆のためになることが仕事.
お互いを助けることが社会です.
それが誰かを害しているのであればやはり少し考えないといけない.
バイク屋もその点いろいろ難しいところがある.
・パチスロ屋は全廃.やるなら堂々とカジノに.ただし,カジノに入るにはちゃんと条件をつけないといけない.
無職やパチプロはダメ.
それでも継続するなら,台に教養を与えるクイズでもつけて
知見を増やすしくみにすべき.
・原発は反対.産業の基盤としてのエネルギーは欲しいけれど,
それはたかだか100年程度の経済しか予想できない.
事故が起きたら100年じゃ済まないことはわかっているんだから
人が生まれて死ぬまで人間らしい生活ができない環境になる可能性を
子孫に与えるのはおかしい.
生まれてから死ぬまで一生,廃炉のための人生なんですよ.これからは.
・人の一生を,何かへの反対運動や,支援活動だけに費やすなんてそれはおかしい.
拉致問題なんて,本来は数年以内に解決しないといけない問題.
生活とは何か,人生とは何かを考えたときに,現政府は一番大切なものを忘れている気がします.
ニュースを見ていて色々考えることがあるけれど,普通に生活できて,家族が笑顔で接することができる生活に,
わざわざトラブルの種を撒くのは政治のやり方としてどうかと思う.
一度の人生,自分たちで考えて動いて,助けがいるなら外野の援助をもらうようにすればいい.
いろんな意見を自由に出せることが必要.でも反対しているからといって
その人間を否定するのはおかしい.許容できる多様性社会が必要.
だからたとえば沖縄の基地問題も,意見の相違はいいけれど
それがケンカになるのは,その地域の生活がギスギスしたことになる.
原発誘致なども,メリットデメリットあるのだろうけれど,
他人が持ち込んだ種で,なんでその地域の人たちが分裂しなくては
ならないのか.
本当に幸せなのは,心の豊かさ,です.
挨拶